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大阪高等裁判所 昭和60年(く)106号 決定 1985年8月09日

主文

原決定中保釈保証金八〇万円を没取した部分を取り消す。

本件その余の申立を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、弁護人西畑肇、同北島元次連名作成の抗告申立書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、要するに、被告人は、被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者もしくはその親族の身体もしくは財産に害を加え、もしくは加えようとし、またはこれらの者を畏怖させる行為をしたことは全くない。したがつて、被告人が右行為に出たことを理由として保釈を取り消した原決定は不当であるから、不服申立に及ぶというのである(なお、抗告申立書の「申立の趣旨」欄には、本件保釈取消決定を取り消したうえ、被告人の保釈を許可する旨の裁判を求める旨の記載があるが、保釈取消決定が取り消されれば、従前の保釈許可決定がいまだ取り消されていない状態に戻るわけであるから、右申立後段は、検察官の本件保釈取消請求を棄却する裁判を求める趣旨であると解される。また、右申立は、保釈保証金没取決定の取消を明示的には求めていないが、申立の理由をも含め本件抗告申立書全体の記載を合理的に解釈すれば、保釈取消決定の取消が認められない場合における保釈保証金没取決定の取消の申立をも、当然に包含するものと認めうる。)。

そこで、検討するのに、一件記録によれば、被告人は、昭和六〇年四月二四日、被害者(高木敏彦)の左背部をペティーナイフ及び果物ナイフで突き刺すなどし、同人に対し加療約三週間を要する左上背部刺創等の傷害を負わせたとの事実により勾留中起訴されたが、同年五月一四日大阪地方裁判所裁判官により保釈を許可され、同月一七日保釈保証金一五〇万円を納付して釈放されたこと、その後、同月二三日、検察官が、被告人には刑事訴訟法九六条一項四号に該当する事由があるとして、疎明資料添付のうえ、同地方裁判所に対し保釈取消の請求をしたところ、同地方裁判所(第一三刑事部二係裁判官)は、翌二四日、右請求を理由ありと認め、被告人の保釈を取り消すとともに、保釈保証金八〇万円を没取する旨の決定をしたことが明らかである。

ところで、検察官が右取消請求書に添付して提出した疎明資料のうち中尾すゑのの検察官に対する供述調書謄本には、被害者高木敏彦の祖母である同女が被害者方の留守番をしていたところ、同年七月五日か六日の夕刻、被告人から電話がかかり、「高崎や。金、金つて何の金や。」「あんまり金のことを言うなら、前みたいに、ああいうめに会わしてやる。」などと何回も怒号された旨の記載があり、また、司法巡査作成の「傷害被害者家族の相談受理について」と題する書面(謄本)には、すゑのが被告人に脅されたとして同月一一日西成警察署に相談に現われた際の状況が記載されている。

これに対し、所論は、被告人は七月六日夕刻すゑのに電話をかけたことはあるが、それは、留守中同女が妻に対し敏彦の休業補償の支払いをしつこく電話で請求してきたので、補償の金額について交渉するとともに、電話は自分が在宅する夜にかけてほしい旨要求したものにすぎず、同女が供述するような脅迫文言を申し向けた事実は全くない旨主張し、添付資料として、被告人と同女の電話によるやりとりを聞いていたという被告人の二女亜矢子の右所論に副う上申書及びすゑのと被告人の妻との従前の電話の状況を録音した録音テープを提出した。

このように、本件においては、被告人により電話で脅迫されたというすゑのの供述とそのような言動に出たことはないとする被告人側の言い分が真向から対立しているので、当裁判所としては、受命裁判官をして、被告人及びすゑのの両名から直接事情を聴取させ、各供述の信用性を慎重に検討した。しかして、すゑのは、右事情聴取に際し、被告人から電話で脅迫された状況等につき、詳細かつ具体的に従前と同旨の供述をしたが、同女が被告人からいわれたという言辞は前記のとおりかなり特異なものであつて、その供述態度からみても、同女が虚構の事実をねつ造したり、事実を歪曲して供述しているとは考え難いばかりでなく、同女が持参した日記帳の七月六日欄、同月一一日欄にも、その裏付けとなる記載があること(なお、右日記帳の体裁、記載内容等を仔細に検討しても、これに作為のあとがあるとは認められない。)などからみて、右供述の信用性にはかなり高度のものがあると認めざるをえない。他方、被告人の受命裁判官に対する供述は、おおむね所論に副うものであつて、抗告申立書添付の亜矢子の上申書の記載とあいまち、所論を支えるかのようであるが、記録によれば、被告人は日頃粗暴な言動が多く、とくに飲酒時には感情の激し易い人物であることが明らかであるところ、当日被告人がすゑのに電話をかけるに至つたいきさつ及びその際の行動(すなわち、被告人は、自己の留守中すゑのから再々補償金の支払を請求されたことを不当として同女に電話をかけたものであること、弁護人から直接被害者方に電話するのを控えるよう注意されていたのに、これを無視して電話していること、すゑのと家人との従前のやりとりを録音させた二女亜矢子が傍に居た筈であるのに、最も肝心な自分とすゑのとの電話の状況を同女に録音させる挙に出ていないことなど)からみると、右電話の際被告人が興奮の余り、感情に任せてすゑのの供述にあるような文言を同女に申し向けたという想定は、ことの成行きとして決して不自然なものではなく、むしろ、何ら激することなく穏やかに交渉しただけであるとの趣旨の被告人の供述の信用性には疑問が持たれる次第であつて、抗告申立書添付の亜矢子の上申書及び録音テープの内容と併せても、これらに、日記帳の記載に支えられた前掲すゑの供述の信用性を揺るがせるだけの証拠価値があるとは認められない。

そうすると、被告人については、すゑのの供述にあるとおり、被害者の親族を畏怖させる行為をしたものとして、刑事訴訟法九六条一項四号所定の事由が存するといわなければならない。そこで、さらに進んで、被告人の右言動を理由に保釈を取り消し保釈保証金の一部を没取した原審の裁量の当否につき検討するのに、刑事訴訟法九六条一項四号は、被告人による被害者その他の事件関係者及びその親族の身体・財産への加害行為等が一般に被告事件の審理の適正を阻害するおそれが大きいことにかんがみ、これを裁量による保釈取消事由と定めたものであつて、右裁量権の行使にあたつては、被告人の行為の性質、態様及び被害者らに与えた畏怖の程度のほか、これにより審理の公正が阻害されるおそれの有無・程度、さらには将来における同種行為を防止するうえで保釈取消及び保釈保証金の没取が必要かどうかなど諸般の事情を考慮すべきである。そこで、右の観点から本件につき検討するのに、1被告人のすゑのに対する本件言動は、同女の孫にあたる被害者敏彦に対し刃物で重傷を負わせたとの本件公訴事実を背景として行われたもので、これによる同女の畏怖の程度は、かなり大きいと認められること、2被告人が、右言動に出たことを否認して、何らの反省の情を示していないことなどの点からすると、3右言動が、事件関係者の被告事件に関する供述の当否をめぐつて行われたものでなく、いわゆる一般のお礼参りの事案とはやや様相を異にすること、4被告事件の公判審理の状況(被告人は、公訴事実を全面的に認めており、被害者の捜査官に対する供述調書を含む検察官請求書証の大部分は、すでに同意書証として取調べずみであり、また、不同意とされた被告人の妻及び二女亜矢子の捜査官に対する各供述調書に代えて、右両名の証人尋問も完了しており、本件保釈取消決定後、さらに被告人質問も行われた。)にかんがみ、被告人の本件言動により右事件の審理の適正が阻害されるおそれは比較的小さいと認められること(ただし、被害者側の畏怖に乗じ不当に有利な示談に応じさせたりする余地は残されており、右のおそれが皆無であるとはいえない。)などの事情を考慮に容れても、右言動を理由に被告人の保釈を取り消すことはやむをえないというべきであるが、右3、4のようなやや特殊な事情の存する本件においては、一部にせよ保釈保証金を没取するまでの必要性があるとは認められない。

そうすると、被告人の本件言動を理由に、被告人の保釈を取り消したうえ、保釈保証金八〇万円を没取した原決定のうち、被告人の保釈を取り消した部分は、正当としてこれを是認しうるが、保釈保証金八〇万円を没取した部分は、その裁量を誤つたものとして取消しを免れない。論旨は、右の限度で理由がある。

よつて、刑事訴訟法四二六条により、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官松井 薫 裁判官村上保之助 裁判官木谷 明)

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